『A Time to Kill(邦題:評決のとき)』は1996年に公開されたアメリカの映画。
原作はJohn Grisham(ジョン・グリシャム)によって1989年に書かれている。本書は彼の処女作だった為、内容も内容なだけに、出版化に当たっては多くの出版社に拒否され、ようやく出版した会社も5000冊のコピーを印刷したのみであった。しかしながら、『The
Firm(邦題:法律事務所)』、『The Pelican Brief(邦題:ペリカン文書)』、『The
Client(邦題:依頼人)』が次々とベストセラーになると、次第に多くの出版社が本作『A Time to Kill(邦題:評決のとき)』の出版化に興味を示し、ペーパーバック版・ハードカバー版が相次いで出版されるに至り、今や誰もが知る名著書となっている。
原作著書が関心を持たれるのが遅かったため、本映画も1996年に公開と、ジョン・グリシャムの本を元に作られた他の映画よりも映画化が出遅れた。
監督には原作者自身の指名によって映画版『The Client
(1994)(邦題:依頼人)』のJoel Schumacher(ジョエル・シュマッカー)が再登板し、脚本も同作のAkiva
Goldsman(アキヴァ・ゴールズマン)が担当。アキヴァはこの2つの作品を機に、キャリアが花開いている。
この作品の知名度を考えるとびっくりする事実だが、ほとんどこれといったアワードは受賞していない。アカデミー賞にもノミネートはされなかったものの、本フィルムは今年2014年のアカデミー賞で主演男優賞を受賞したMatthew
McConaughey(マシュー・マコノヒー)の出世作となった作品である。Samuel L. Jackson(サミュエル・L・ジャクソン)の本フィルムでの演技も評価され、ゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされた。
キャストも非常に豪華で、その後主役級となる役者ばかりが勢揃いしている。
『American Beauty(邦題:アメリカン・ビューティー)』や『The
Usual Suspects(邦題:ユージュアル・サスペクツ)』のKevin Spacey(ケビン・スペイシー)、『Gravity(邦題:ゼロ・グラビティ)』のSandra
Bullock(サンドラ・ブロック)、『Double Jeopardy(邦題:ダブル・ジョパディー)』など数多くのフィルムに登場し、最近でも『Divergent(邦題:ダイバージェント)』に出演したAshley
Judd(アシュレイ・ジャッド)が脇役なのだから今考えるとどれだけの役者揃いだったことか。
その上、Donald Sutherland(ドナルド・サザーランド)と『24(24
-TWENTY FOUR-)』のKiefer Sutherland (キーファー・サザーランド)親子も出演している。
さて、ストーリーは既に本作を観て知っている方も多いと思うが、アメリカでの人種差別を題材とし、新米弁護士が法廷での争いを繰り広げる、いわゆる法廷映画である。
舞台はアメリカ南部のミシシッピ州。
物語は、黒人の少女タニヤがお遣いの帰り道に、白人の青年2人組に暴行され、レイプされ、放尿され、木から吊り下げられて、その後近くの川に置き去りにされたところから始まる。
少女は、命はなんとか取り留めるものの、ひどい乱暴を受けたせいで、たった10歳にして子供を授かることができない身体となってしまう。
この少女の父親カール・リーは、この出来事を顔馴染みの白人弁護士ジェイクに相談する。この時の会話からカールは黒人を強姦しても有罪にはなる可能性は極めて低いことを知る。ジェイクはカールから漂うただならぬ雰囲気を感じながらも、話終えた後に彼を帰してしまう。
カールは法で裁けないなら自ら復讐をするしかないと心に決め、ライフル銃を手にし、地方裁判所に乗り込み、娘を強姦した青年を2人とも射殺、横にいた白人警官のことも誤って撃ってしまう。結果、2人組は死亡、警官は片足を失ってしまう。
カールはすぐに捕まり、この事件を知ったジェイクは彼の弁護をタダ同然で引き受けることにする。
事件は国中のメディアで取り上げられ、白人至上主義団体のKKK(クー・クラックス・クラン)は再びこのエリアを牛耳るようになっていく。
KKKはジェイクの家族や彼の身近な人達にも、脅かし程度では済まないほどの酷い仕打ちをし、ジェイクの周りは彼にこの事件からおりるように懇願するようになる。
しかし、正義を追求したいという正義感の強さに加え、カール一家への同情と、自らも同じ歳くらいの娘がいるジェイクは、娘に同じことが起こったら自分でも同じこと(復讐)をしたかもしれない、カールが尋常じゃない様子でジェイクを訪ねてきた時も彼を帰してしまったのは、もしかすると心のどこかで彼に復讐をして欲しいと思っていたのではないか、と考え、カールの弁護の続行を心に誓う。
ジェイクは裁判でカールを心神喪失による無罪を主張したが、やり手の検事は巧みな誘導尋問でカール本人の口から彼が明確な意志を持って2人の青年を射殺した事を証言させる。
しかし、カールのせいで左足を切断した警官のルーニーが証言台に上った際に、カールの犯行動機を支持して無罪だと叫び、裁判所は一時騒然となる。
この裁判の緊張感はますます高くなり、KKKの残虐な行為も酷さを増して行く。
この事件の陪審員はもちろん、ほとんど白人であるが、裁判の話し合いのためカールに面会に訪れるとカール自身もまたあんたは所詮白人だ、と言い放たれる 。
陪審員に対し、最終弁論でジェイクは、「目を閉じてある話を聞いて欲しい」と求める。彼は実際に10歳のタニヤに起こったことを彼女の名前などは出さずに、詳細に話す。陪審員たちの目からは涙が流れてくる。話の最後で、ジェイクは言う、「では、この少女が白人であったらどうでしょうか」と。
最終弁論の結果、有罪に傾いていた陪審員が無罪の判決の下す。...ということは、黒人の少女がレイプされて暴行されても報復殺人は許さない。しかし、少女が白人であったならば報復殺人は許容する、ということだ。
この映画は決して、差別は悪であるとか差別をなくそうというメッセージを発しているのではなく、私たちは今も差別をしてしまっている、という現実・事実を突きつけている作品である。
どんなに差別は薄れていて、社会的にも人種差別はいけないことだと人種差別に対して繊細になっていても、人種差別は依然として深く根付いている。
1996年から約20年が経過した今は、果たしてどうだろうか...。人種差別は存在ない、自分は人種差別をしていないと言いきれるだろうか...。
2013年10月には、弁護士のジェイクが再び登場する、『A
Time to Kill(邦題:評決のとき)』の続編となる小説『Sycamore Row(邦題:未定)』がアメリカで発売された。映画化されるのかどうか、された場合はマシュー・マコノヒーが再びベテラン弁護士になっているであろうジェイクを演じるのか、今から注目だ。