Wednesday, July 16, 2014

Lost In Translation(邦題:ロスト・イン・トランスレーション )



舞台は東京。

倦怠期を迎えてしまっているハリウッド・スターのBob Harris(ボブ・ハリス)は、サントリーのウィスキー響きのCM撮影の為に来日している。街の中で人々が話していることを理解できないことは勿論のこと、日本人の通訳がほとんど正確な通訳ができていない為、撮影中でさえも、日本人との意思疎通がうまく図れていない。訳される間にいくつかの伝わっているべきポイントが失われてしまい、話した側が意図したようには正確に伝わってはいない。まさにロスト・イン・トランスレーション。意思疎通が図れないことや、大きく異なるカルチャーの違いから、ボブは、自分だけが世の中からぽっかり浮いてしまっているような気持ちになり、日本にいることに対して居心地の悪さを感じている。



一方、大学を卒業したばかりのCharlotte(シャーロット)は、旦那さんの仕事に付き添って日本に一緒に来たものの、毎日ホテルに置いてきぼりにされ、孤独を感じている。



彼らは、互いに、日本という未知の土地で迷い、夫婦間の関係にも迷い、自分自身をも見失い、色々なものから“ロスト”状態になっている。

そんな2人が同じホテル(新宿のパーク・ハイアット)に宿泊していることから出会い、一緒に東京の街を冒険する話ある。アメリカと日本のカルチャー、そして世代間のジェネレーションギャップを感じながらも恋愛未満、友情以上の関係を築き上げていく。



Lost In Translation(邦題:ロスト・イン・トランスレーション)』は、2003年のダークホース映画と言われた。予算も400万円程度と少なめであり、撮影日数もわずか27日間であったが、1 2千万円以上の興行収入をおさめ、2004年のアカデミー賞では、主要4部門の作品賞、監督賞、主演男優賞、オリジナル脚本賞にノミネートされ、アカデミー脚本賞を受賞した。



監督および脚本を担当したSofia Coppola(ソフィア・コッポラ)は本作の成功により、一躍ハリウッドでも注目される新鋭若手監督となった。

コッポラ自身が若いころ何度か日本を訪れ、当時旦那さんだったSpike Jonze (スパイク・ジョーンズ)と一緒にも日本に滞在しており、この脚本は、その体験をもとにした半自伝的作品と告白している。なので、映画の中でのスカーレット・ヨハンソンの旦那さん役は、スパイク・ジョーンズがモデルとなっていると言われている。



脚本を書いている時から、Bill Murray(ビル・マーレー)が念頭にあったというコッポラは、半年ほどで脚本を書き終えると、彼に何度もアプローチをし、出演を懇願する。半年から一年をかけて根気強くお願いをした彼女の熱意に負け、ビル・マーレーは彼女の書いた脚本であるこの映画に出演することを承諾したそうだ。承諾したにも関わらず、契約は結ばなかったため、ビルが日本に来たということを確認するまでは安心できなかったという。



当時17歳だったScarlett Johansson(スカーレット・ヨハンソン)もコッポラが自ら起用を決めた。



本映画は、言語の壁とそれによる心理的距離だけでなく、夫婦間、男女間、世代間、友人間などの現代社会多くの人間関係における相互理解の難しさをテーマとしている。その孤独感を増幅する演出として、意図的に、 日本語のセリフに字幕がつけられていない。

そう、私たちはこの映画を見ていると、全て理解できるが、日本語を分からない人からすると、本当に観ているだけでも、疎外感、孤独感を感じるのだろう。




コッポラは東京のネオンライトに魅了され、特にパーク・ハイアット東京は世界の中でも最も好きな場所の一つであったそうだ。彼女はこの映画を“東京へのバレンタイン”と言い、大好きな東京に捧げている。

アメリカのクルーが日本でビジュアル(映像)を撮影する時に毎回思うこと。それは、「アメリカ人が東京を撮ると、こういう風に撮るんだ」、「アメリカ人の目/レンズから見えている東京は、こういう街なんだ」ということ。東京は東京でも、私自身が見ている東京とは何かが違う。日本ではずっと住んでいた東京がなんだか遠く感じる。




The Black Eyed Peas(ブラック・アイド・ピーズ)のJust Can’t Get Enough(ジャスト・キャント・ゲット・イナフ)の映像を観たときも、同じことを思った。ちなみに、この曲と映像は、ロスト・イン・トランスレーションの音楽バージョンだ、と言われている。



この映画を観るとちょっとだけ日本・東京が恋しくなるのは私だけじゃないはず。



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