Tuesday, August 19, 2014

One Flew Over the Cuckoo’s Nest(邦題:カッコウの巣の上で )


遂にこの名作『One Flew Over the Cuckoo’s Nest(邦題:カッコウの巣の上で)』を観た。



1962年に発表されたKen Kesey(ケン・キージー)のベストセラー小説を、Miloš Forman(ミロス・フォアマン)監督が映画化し、1975年に 公開されたヒューマンドラマ/映画である。

この手の映画を得意としない人もいるであろうが、アカデミー賞で主要5部門の受賞を総なめ、映画史に残る映画として語り継がれるのも納得だ。

ちなみに、アカデミー賞で主要5部門、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞を総受賞したのは、アカデミー史上、1934年の『It Happened One Night (或る夜の出来事)』、本作品、そして 1991年の『The Silence of the Lambs(羊たちの沈黙)』の3作品のみ。



主演男優は本作品での演技が大絶賛された、今や大物俳優のJack Nicholson(ジャック・ニコルソン)で、主人公ランドル・マクマーフィーを演じた。主演女優は、看護婦長ラチェッドを演じたLouise Fletcher(ルイーズ・フレッチャー)



この映画は一言で言えば、この作品は人間の尊厳を問う映画であると言えるだろう。

容赦なくショッキングでありながらも、ユーモアも溢れる独特の映画だ。




[以下、ネタバレ有り]

主人公のマクマーフィーは犯罪を犯したが、刑務所での強制労働から逃れるため、精神病を装って精神病院に入院した。彼は入院して早々、病院の思うままに管理され、人間扱いされていない患者たちの様子に強い違和感を覚える。

そんなマクマーフィーは管理体制に反発/反抗し、ルールや規則を破り、自由を手に入れようと、院内の絶対的権力である婦長ラチェッドと対立する。



マクマーフィーは他の患者たちも巻き込もうとするが、管理体制にすっかり慣れてしまっていた患者たちは、最初は決められた生活を望み、ためらっていた。しかし、次第に彼に賛同するようになる。同時にマクマーフィーと生活をする中で、患者たちは人間らしさと気力を取り戻していく。


ある日、マクマーフィーは看守の見張りが目を離した隙に他の患者たちを連れ出し、無断で外出し、女友達とともに船に乗せて、海へ釣りに出る。こうした反抗的な行動が婦長の逆鱗に触れ、彼女はマクマーフィーが病院から出ることができないようにしてしまう。



また、別の日には、院内で患者が騒動を起こした際に、それを止めようとしたマクマーフィーも一緒にお仕置きとして、電気けいれん療法(ロボトミー)を受けさせられてしまう。順番を待っていた時に、マクマーフィーはしゃべることのできないネイティブ・アメリカンのチーフが実際はしゃべれないフリをしていたことに気づき、一緒に病院から脱出しようと約束する。しかしチーフは、自分は小さな人間だとその誘いを断る。



クリスマスの夜、マクマーフィーは病棟に女友達を連れ込み、酒を持ち込んでどんちゃん騒ぎをやる。ひと騒ぎし、パーティもそろそろお開きという時に、マクマーフィーはビリーが自分の女友達の一人に関心を持っていることに気づく。ビリーを可愛がっていたマクマーフィーは、 女友達にビリーと一夜を過ごしてくれないかと頼み、二人は個室へと入って行く。二人が部屋から出てくるのを待っているうちに、マクマーフィーはじめ他の患者たちも、つい寝入ってしまう。



翌朝、みんなが酔っぱらって寝ているところに看守らとラチェッド婦長が出勤してくる。ビリーも個室から引っ張りだされ、ラチェッド婦長からビ激しく糾弾され、このことを母親に報告すると告げられる。そのショックでビリーは自殺してしまう。マクマーフィーは激昂し、ラチェッド婦長を絞殺しようとする。無論看守たちに止められ、 マクマーフィーは他の入院患者と隔離されてしまう。



そんな中、チーフはマクマーフィーと一緒に病院から逃げ出す覚悟をし、マクマーフィーを待っていたが、戻ってきたマクマーフィーは、言葉も話せず、視界も定まらず、頭も朦朧とし、正常な思考もできない廃人のような姿になっていた。お仕置きとして、ロボトミー治療を受けたのだった。



そのように変わり果てたマクマーフィーの姿にショックを受けたチーフは、マクマーフィーを窒息死させ、「持ち上げた者には奇跡が起きる」とマクマーフィーが言った水飲み台を持ち上げて窓を破り、精神病院を脱走する。



こんな重いストーリーだ。

しかし、ジャック・ニコルソンの演技によって、暗くて重苦しい雰囲気だけの映画ではなくなっている。主人公の巻くナーフィーが、ワイルドに、豪快に、破天荒に、そして愉快に自由を求めて闘う姿は間違いなくこの映画の見所である。



異常なまでの管理体制の元で人間のような扱いを受けていない患者たちに、喜びや楽しみなどの感情を思い出させ、彼らの人間らしさ取り戻させたマクマーフィー当人が、その過程の中での出来事で罰を受け、ロボトミーによって本人の人間らしさや人としての尊厳を奪われてしまうという展開は非常に皮肉である。



監督のフォアマン氏は自らチェコから亡命してきた体験があるだけに、この作品には深いメッセージが込められているのであろう。強い管理体制の元で自分を押し殺してきた過去の姿にこの作品の登場人物たちを重ねたのかもしれない。

精神病を患っていても、患者たちは他のみんなと同じ人間であり、それぞれの人間には個性があり、生きる権利もある。扱い方によって、精神病を悪化させることもあれば、逆にキャラクターを引き出すこともできる。そんなこともこの映画を通して教えてくれる。

実際に、この映画を見始めた最初の数分間は、「みんなかなり精神的に病んでいる!なんだこの奇妙な施設は...」と思う人がほとんどだと思うが、観ているうちに、自らも映画の中に引き込まれ、マクマーフィーや他の患者たちに親近感を覚え、彼らが「なんだか理解できない社会不適合者たち」から「ユニークで愛くるしい仲間たち」のような気がしてくるから不思議である。

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